アルマーニとはどんなブランド?アルマーニの買取相場を知りましょう!

誰もが一度は耳にしたことがアルマーニというブランド。みなさんもご存知ではないでしょうか。

有名なブランドであるからこそ、アイテムとして所持されている方も多いと思います。

しかし、アルマーニというブランドは知っていても、その歴史や文化などについて詳しく知っておられる方は少ないのではないでしょうか。

それらを深く知ることによってより一層、アルマーニというブランドを好きになることができるのではないでしょうか。

また、買取相場も深く理解できると思います。

本記事では、アルマーニとはどんなブランドでありアイテムごとの買取相場がどの程度なのかについて詳しくご説明します。

 

アルマーニとは

現在においても、アルマーニは服飾業界の第1線で実力を発揮しています。

ジョルジオ・アルマーニが矜持を持ってエレガンスを伝え続けているブランドであると言えるでしょう。

昨今では、創設デザイナーが第1線で実力を発揮とているクチュールブランドが減少傾向となっている中、今も変わらずモードの歴史を開拓しているのもアルマーニなのです。

その影響力は絶大であり、客観的に活躍を評価された結果、「モードの帝王」といった二つ名で呼ばれることもあります。

ここからは、そんなアルマーニの歴史についてご説明します。

 

アルマーニの原点

ジョルジオ・アルマーニは、1934年にイタリア北部のピアチェンツァで誕生しました。

第二次世界大戦が開戦される直近であったことから、社会情勢は不安定な時代だったのです。

第二次世界大戦の影響は非常に大きく、ジョルジオ・アルマーニは裕福な暮らしができる環境で育ったわけではありませんでした。

そのような背景もあり、幼少時代における彼の唯一の楽しみは映画鑑賞であったと言われています。

この映画鑑賞によって育まれた豊かなイメージが、服飾業界におけるセンスを育んでいたのでしょう。

また、母親からの影響も強いとされています。

ジョルジオ・アルマーニの躾は非常に厳しく、子どもだからといって甘やかさない教育方針だったのです。

第二次世界大戦の影響下にあったことから物資が乏しい時代でしたが、母親は軍服およびパラシュート生地に使用されているコロニアルを活用してジョルジオ・アルマーニの衣服を製作していたのです。

当時、母親が製作した衣服や父親がファシスト党員の思想に基づいて着用していた制服などがアルマーニファッションの原点であるとされています。

 

デザイナーとしての開花

ジョルジオ・アルマーニは、最初からファッションのエリートとしてその道を歩んできたのではありません。

高校時代においては、服飾業界に強く教務を示していたわけではありませんが、その美的センスは他の生徒と比較すると一線を画していたとされています。

当時は、自ら服を選んでいるわけではなく、親から与えらた服を着用することが一般的でした。

しかし、ジョルジオ・アルマーニはその当時から折り返しのないズボンやカットソーを着用しており、自分自身が贔屓にしているテーラーすら使用していたとされています。

服飾業界における美的センスが伺えていたにも関わらず、ジョルジオ・アルマーニが目指していたのは医学だったのです。

当時では、医者か弁護士が成功者として分かりやすく評価されていましたので、一般的な将来への歩みであったのでしょう。

しかし、進むべき道に対して疑問を抱いていた彼は、高校3年のときに退学して将来を見つめ直す時間を得るためにも兵役に就いたのです。

兵役中においては、休暇をもらう度に将来の道を探していたのです。

そういった悩みを幼馴染に相談していると、ミラノの大手百貨店リナシェンテで求人募集があることを教授してくれたのです。

その情報がきっかけとなり、ジョルジオ・アルマーニは1957年の兵役終了と共にリナシェンテに入社しました。

当時、リナシェンテは服飾に関する情報発信を主とした有名デパートですが、物を単純に売るだけで成り立っている一般的な百貨店でした。

しかし、リナシェンテが単純に物を売るだけの存在から変わろうとする変革のタイミングで入社したのです。

ここで、ジョルジオ・アルマーニはこれまでにない経験を数多く積んでいきます。

建築家ジャンカルロ・オルテッリのアシスタント・ショーウインドウのデコレーション・紳士服のバイヤー・写真家のアシスタントといった内容など、その仕事内容は非常に広範多岐だったのです。

特に、紳士服のバイヤーとしてロンドンから輸入したツイードジャケットとコーディネートするベストが、ジョルジオ・アルマーニの才能を最も開花させた仕事であったとされています。

デザイナーとしての第一歩は、ニノ・セルッティが新規に立ち上げたブランドであるヒットマンです。

ジョルジオ・アルマーニーが就職していたリナシェンテの広報部長の役職であったアドリアーナ・ボッティの紹介でヒットマンのアシスタントで活躍する人物を探していたニノ・セルッティに紹介されたのです。

ヒットマンのメンズウェアのデザインは、紳士服のプレタポルテといった新たな開拓を始めようとしており、その事業にジョルジオ・アルマーニが参加することとなったのです。

ジョルジオ・アルマーニは、スーツの内部構造を除去したソフトで着心地の良いジャケットをヒットマンに提案しました。

この提案が、これまでのフォーマルスーツにない画期的なものであったため、スーツの概念を刷新することに成功したのです。

また、それらのスーツを効果的に販売するため、広告キャンペーンも斬新なもので展開しました。

具体的には、衣服やモデルの顔すらも入っていないものでした。この広告には賛否両論がありましたが、結果的には大成功を収めたのです。

これらの目覚ましい活躍を目の当たりにして、ニノ・セルッティがジョルジオ・アルマーニを称する言葉として「ファッションデザイナー」と呼ぶようになりました。

当時はファッションデザイナーという言葉がありませんでしたので、初めて使用されたのがこの時とされています。

ジョルジオ・アルマーニという人格を形成するうえで、非常に大きな意味を持つのがヒットマンで活躍した8年間でありデザイナーとして開花したのです。

 

アルマーニの急成長

1975年になると、ジョルジオ・アルマーニを創業した一番最初のメンズコレクションが開催されます。

ジョルジオ・アルマーニは、ヒットマンで活躍していた頃の名声が既に築かれていたため、開催したメンズコレクションは大成功を収めました。

また、大成功を収めたメンズコレクションからたった3ヶ月後には一番最初のレディースコレクションを開催し、現在で浸透しているユニセックスなレディースウェアを発表したのです。

この男女の性別を超えたところにある独自スタイルがジョルジオ・アルマーニの原点なのでしょう。

これらの実績に裏打ちされるように、ジョルジオ・アルマーニの名声は遠くアメリカにまで響き渡りました。

当時のアメリカは女性の社会進出が目覚ましく、それらを背景に女性ファッションにおける新しいスタイルが求められていたのです。

ジョルジオ・アルマーニのファッションセンスは、オフィスファッションとして成り立っており、且つエレガントな雰囲気を醸し出しているものであったため、女性の魅力を最大限に発揮させる効果があったことから、すぐに受け入れられることとなったのです。

世界的な活躍が認められていたこともあり、1978年にはアカデミー主演女優賞を受賞したダイアナ・キートンがジョルジオ・アルマーニのジャケットを着用して舞台に登壇したのです。

有名な著名人が着用することにより、デザイナーとして功績が世界的に認められたことに繋がりました。

1979年には、服飾業界におけるオスカー賞と称されるニーマン・マーカス賞を受賞しました。本賞は、イタリアのミッソーニ、エミリオ・プッチといった若干名しか受賞したことがない栄誉ある賞であり、ジョルジオ・アルマーニを設立してから僅か4年目であったこともあり、世間を驚かせたのです。

1990年代には、市場の活気が溢れていた中国・アジア・日本を訪れ、現地の人から熱烈な歓迎を受けました。

2001年には、アルマーニ・テアトロが設立されます。

アルマーニ・テアトロの建物は非常に独創的なものであり、デザインは日本を代表する建築家である安藤忠雄が手掛けたこともあり、注目度に拍車をかけました。

ジョルジオ・アルマーニを象徴するような建物であり、無機質な建物は冷たい印象を与えすぎてしまうとマイナスイメージの評価もありますが、この冷たい印象こそがジョルジオ・アルマーニが求めている機能性および純粋なスタイルとマッチしているのです。

2005年には、ジョルジオ・アルマーニのオートクチュールラインとして確立されるアルマーニ プリヴェが発表されました。

2006年には、新たな改革としてメンズのオーダーメイドラインとして確立されるハンド・メイド・トゥ・メジャーを発表したのです。

オートクチュールラインからは、ジョルジオ・アルマーニ、エンポリオ・アルマーニ、アルマーニ・エクスチェンジなどのカジュアルラインが確立されることとなり、客層に順応した価格帯を適切に提供できるスタイルを提案しました。

これらのことから、ラグジュアリーファッショングループにおいては他の追随を許さない圧倒的な経営基盤を構築するブランドとして急成長したのです。

 

アルマーニの買取相場とは

上述したように、アルマーニはブランドとしての絶対的な価値があることを理解できたと思います。

それでは、ブランドとして確立されているアルマーニの買取相場とはどれくらいなのでしょうか。

ここからは、アイテムごとの買取相場について詳しくご説明したいと思います。

 

スーツ

アルマーニのスーツは、通年において高い人気があるアイテムとなっています。

スーツの特徴としては、トレンド感あふれる細身でスタイリッシュなものも多く取り揃えられています。

年式・スタイル・仕立て・サイズ感・素材によって買取金額が変動しますが、参考買取価格としては、5,000円~50,000円程度となっています。

 

レザージャケット

数あるアルマーニのアイテムの中でも、上質なレザーを使用したウェアは特に評価が高いアイテムとなっています。

ライダースジャケット・カーコート・テーラードジャケットなどメンズ・レディースを含めてアイテム数は数多く取り揃えられています。

参考買取価格としては、10,000円~70,000円程度となっています。

 

ボトムス

デニム・カーゴパンツ・チノパン・バイカーパンツ・ジョガーパンツ・スウェットパンツ・スラックスなど、ボトムスについてもアルマーニのアイテムとして数多く取り揃えられています。

参考買取価格としては、1,000円~10,000円程度となっています。

 

バッグ

クラッチバッグ・ビジネスバッグ・リュックサック・トートバッグ・ショルダーバッグなど、バッグについてもアルマーニのアイテムとして数多く取り揃えられています。

デザイン・希少性・状態・トレンドなどにより買取金額が変動しますが、参考買取価格としては、5,000円~40,000円程度となっています。

 

シューズ

スニーカー・ドレスシューズ・ワークブーツ・サンダル・パンプス・デッキシューズ・ローファーなど、シューズについてもアルマーニのアイテムとして数多く取り揃えられています。

なお、シューズは古くなるほど買取金額が顕著に減少してしまうことから、履かなくなったら早目に査定に出すことをおすすめします。

参考買取価格としては、2,000円~20,000円程度となっています。

 

まとめ

ここまで、アルマーニとはどんなブランドでありアイテムごとの買取相場がどの程度なのかについてご説明させて頂きました。

アルマーニは非常に人気のあるブランドとして確立されていることが歴史からも分かったのではないでしょうか。

本記事が、アルマーニのアイテム購入や売却をお考えになられている方にとって少しでもお役に立てたのであれば幸いです。